いま君に伝えたいお金の話(村上世彰)

村上世彰といえば、村上ファンド。村上ファンドといえば、ニッポン放送のインサイダー取引をおこなったとして、代表の村上世彰が逮捕されたという事件の印象が強いです。

ズバリ言えば、『良い印象の投資家ではない』と思っていました。

ですが、この本を読んでなんとなくイメージは変わってしまいました。

当時の村上世彰の印象と言えば、「カネの亡者」といったもので、当然今もそう思っていたのですが、ところがどうして、「はっ」と思わされることを言うんだなと感じました。

『お金は稼いで貯めて、回して増やす。増えたらまた回す。』

投資家としては言われるまでもなく当然のことだったのですが、この言葉のなかの『回す』という点が引っかかります。

彼は、お金は回すことで、社会にとっていい影響を与えるものだと言っています。『お金は社会の血液だ』、社会の血液であるお金が滞ることになれば、社会の健康にとっても良くないはずだ、という主張です。

つまり、カネの亡者だったのではなく、むしろお金は回すべきだと考えていたわけですよね。

『回す』ということがなぜカネの亡者とは違うかもしれないのか?

お金を回すひとは、お金自体への執着心はないように思います。お金という表現がわかりにくいかもしれませんが、お金とは硬貨やお札といった通貨や銀行預金などを指しています。つまり、商品を買ったりするときの取引に使われる「お金」というものです。

お金を回す人というのは、投資するときに一度お金を手放します。そしてそのお金が返ってくるかどうかは、ある意味「運」によるところもあります。

お金を損したくないという意識の人には、そのお金を一度手放すということに強い抵抗を感じます。つまり投資はできません。

その点進んで「回せる」人は、お金自体にはあまり関心がなく、むしろお金をはらって手にするものにどんな価値があるのかという点をとても意識しているように感じます。

お金だけの話ではありませんが、人生も社会も「リスク」を取らなければ成り立たないものだと思っています。

リスクにも大小ありますが、何かしらリスクと背中合わせで私たちは生きていると思っています。そしてこの世の中は、大きなリスクをとることができる人には、そのリスクに見合ったものを手にする権利が与えられるものだとも思っています。

あくまでリスクをとっても手にできるのは、リスクに見合うリターンを手にする権利でしかありません。かならず報われるといったものでもないところが、この世の中のつらいところです。

そこで、リスクの取り方の考え方として、この本で紹介されている『期待値』という考え方がでてきます。

『期待値』とはどういったものかというと。

リスクを取らなければ、リターンは得られない。でも必ずリターンを得られるものでもないから、損することになるかもしれない。だったら損をする覚悟でこのリスクをとることは、はたして理にかなっているのだろうか?

といったことについての考え方です。

この考え方は、お金だけでなく、人生にも使えるものだというのが、筆者の意見ですが、納得できる話だと思いました。

また、筆者はこのようなおカネの考え方などを子供たちに教える『お金の授業』なるものを行っているようです。

正直うらやましいと思いました。そういう授業を行うことも、そういう話を子供たちが聞けることも、とてもいいことだと思っています。

お金は、生きていくうえで必ず必要なものです。ある意味私たちの人生を左右するものです。

そのお金について学ぶ機会は、大人になってからであっても、正直かなり少ないと感じています。

お金について知識や知恵がないというのは、かなり損することだと思っています。

それを子供のうちから学ぶことができるなんてうらやましい限りです。

ましてや、筆者の計画では、10代のうちに投資を経験させる機会を作りたいとまで言っています。

小さいうちから投資を学び、お金や社会について理解が深まれば、子供たちが自分の将来の可能性が広げられるとってもいい機会になるはずだと思います。

本書を読むと、筆者が逮捕されるまでに至った背景もなんとなくわかる気がしてきます。

「金を回さなければ日本は良くならない」「企業に滞留する怠慢?を株主として動かさなければ」などといった話を聞くと、だからあのような事件にまでなったのか?と思いました。

ただ逮捕されるまでにあっても、自分の主張をまげないというところに「投資家 村上世彰」のすごさをみた気がしました。

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