『本物の大富豪が教えるお金持ちになるためのすべて』。いかにもといったタイトルです。
「お金持ちになるために」といったタイトルの書籍は書店で結構見かけます。そしてそのほとんどが、著者がお金持ちになったことを自慢するかのような内容であったり、「結局何をしたらいいの?」というところがあやふやであったり、ひたすら精神論みたいなことを繰り返していたりするものが多く、その本を読んだからといって何かが変わるといったものではないことが多いです。
この本もどうせ似たようなものだろうと思いました。
なのになぜ手に取ったのか?
どうも私は、常に読む本がないと落ち着かないようで、「欧米でベストセラーの”富の名著”」という帯を見て試しに読んでみようかと手に取った感じでした。
最近の投資関連の書籍は、アベノミクス以降に儲けてきた人たちが書いているのか、「それって今の相場だからだよね、弱気相場の時の立ち回りはどうするかが抜けてない」という感じがするためか、あまり買ってまで読んでみようと思わないものが多いように感じます。
個人的な感覚としては、投資関連の本で本当にいいなと思える書籍は、ほとんどの場合で弱気相場の時に現れる。そんな気がしています。
まあ、他にめぼしいのがなかったからといった理由で手に取った本ですが。
最初は、「まぁそんな感じだよね」というスタートだったのですが、読み進めるにつれて徐々に面白くなってくるという、いい意味で期待を裏切られた感覚です。
著者は、主に事業を行ってお金持ちになったため、内容的には投資家よりもむしろ経営者の方が参考になると思いますが。
「あっ、それだ!」と思うようなことも出てきたり、経営者でなくても参考になる考え方は多かった気がします。
この本を読んだ結論としては、訳者あとがきにも書いてありますが、この本を読んで、「お金持ちになるぞ!」と気合が入るようなものではなく、「本当に自分はお金持ちになりたいのか、そのことをよく考えてみよう。」といった感覚になります。
まぁ、この本で出てくるお金持ちは、我々が想像しているようなお金持ちとは違う、スーパーお金持ちだというところが若干感覚として違うものがありますが。
訳者は、『本書を最後まで読んで、私は、お金持ちを目指すのは自分の道じゃないなと思った。』と言っています。お金持ちになるための本を読んで、こんな感想が出てくるなんて普通じゃないですよね。
事業ではなく投資をしている者としての目線から見て、気になった点は。
金持ちになるための心得として、『みんなに知られる形で失敗してもいい、場合によっては壊滅的な失敗をしてもいい』『金持ちになるまでの道のりをゲームの一種と思える』『失敗に対するおそれと正面から向き合うことができる』といった点は、ズンと来ました。
この心得がなければ、投資であっても人よりお金を稼ぐなんてことできないの当たり前ですよね。果たしてそこまでしてお金持ちになる必要があるのか?
また、『「一瞬の欲望」と「野望」を混同する』『キャッシュフローを甘く見る』『失敗を上塗りする』
これには痛い思い出のある人もいるのではないでしょうか?
それに運についても書いてありましたが。
『運についてひとつだけ言えることがあるならば、幸運も不運も「変化していく」ということだ、「平均回帰の法則」からもまいがいなく言える。』
運、不運に「平均回帰の法則」。これには何というか、目が覚める感覚になりました。
「良いときがあれば、悪いときもある」これは当然のことです。投資をしているものの立場から見てもこの視点はかなり重要なことです。
それでも人は、「なんかうまくいかない」「運がない」と思ってしまうと、ずるずるとその思いに引き込まれてしまいます。
投資でいえば、損切ばかりが続いたり、買った銘柄のほとんどが含み損を抱えてしまっている。そうなると、もうやめたい。逃げたい。そういう思いに駆られます。
でも、そこで耐えることがとても重要で、また耐えるためには、「悪い運はいつまでも続かない、いつか良い運が訪れるはず」と考えることが必要だったりします。(そういう時の対応策を学ぶことも必要ですけどね。)
相場と向き合えば必ずそういう時が訪れるはずだと思っていますし、相場でなくてもいろんな場面でそういうことはあると思います。
ただ、これって根拠がない話だから困るんです。そう思い込むしかないものだから、「もしかしたら違うかも」という考えが出てきてしまう。
しかし、「平均回帰の法則」という言葉で、その言葉を意識していれば、もしかしたら、不運が訪れた時に良い薬として機能してくれるかもと思いました。
そして、この話は、イギリスの大富豪が「間違いなく言える」と言っていることですからね。心強いです。
この本の中でも「運」の部分の話は良いこと聞いたと思っています。
そして、一番お金持ちとそうでない人の違いを感じたのが。
『金持ちになるには、「オーナー」にならなければならない。しかも、「すべてを所有するオーナー」になろうとしなければならない』という話です。
その例として、『あなたが私の鉱山で働いているとしたら、私は、あなたに相応の給与を支払う。働きたいと思う職場にする努力もする。会社のためになると思えばあなたにインセンティブも与える。あなたやあなたの家族の分まで健康保険の会社負担分も支払えば、年金の会社負担分も支払う。あなたの価値が高まるようにスキルを身につける手伝いもしよう。有給休暇も与える。いじめられたり差別されたりしないように注意もする。職場の安全にも気を配る。
私は、このようなことをたくさん、しっかりとしていく。だが、この鉱山と採掘権を売って得たパイをあなたと分け合うことはしない。』
これヤバくないですか?
まさに金持ちとそうでない者の差そのものを言っている気がします。
収入を得る論点が違うというか、稼ぎ方そのものが違うというか。お金持ちがどこからお金を手に入れようと考えているのか。
なんとなく気づいていたような話でもあるけれど、それでもこの鉱山の話はあまりにも分かりやす過ぎて、当分引きずることになりそうです。
他もに、いろんなことが書いてありましたが。
結局のところ、私にもこの本の訳者同様、この本を読み終わって、お金持ちなる覚悟というものがもしかしたら自分にはないのかも?と思ってしまいました。
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