世界の格差はなくならない。格差を受け入れ『運』を手に入れる努力をする。

「格差を失くそう」は、無意味?

「格差を失くそう。」という声を聞くことがある。

格差はない方がいい。確かにそうかもしれない。しかし、この世界から格差がなくなることは決してないのでしょう。

格差が生まれるのは、人間にとって宿命なのかもしれない。


格差を大きく左右する『運』という要素。

この世界には、自分にはどうしようもない『運』という要素がある。人の人生には、『偶然』というものが大きく影響しています。

『卵巣の宝くじ』というバフェットの有名な話がある。

例えば、先進国に生まれたことで、教育や社会インフラ、社会保障など様々な面で恵まれた世界で生きている。その時点で十分に幸運をつかんでいると言える。

大きな戦争などがほとんどない時代、若くして死ぬことが少ない時代。そういう時代に生まれてきた。そこでもまた、とてつもない幸運をつかんでいる。

人は、生まれた時点で『卵巣の宝くじという運』によって、自分の人生の多くを決定づけられている。

そして、格差の上に入れるかどうかも、また生まれた時点で決まってくることがある。

格差の世界でも、『運』という要素がとても大きな意味を持っている。


『運』や『偶然』というものがこの世界に存在する以上、私たちの世界で格差がなくなることは決してないのかもしれない。


格差が生まれるようになったのは、お金が誕生したから?

お金は、貯めることができる。何年でも、何十年でも、何百年でも。

この財産を蓄えるという行為によって、格差が生まれたという話がある。

この手の話でよく引き合いに出される話と言えば、トマ・ピケティ(『21世紀の資本論』で有名)です。

ピケティによれば、所得の成長スピードは、r>g(資本収益率>経済成長率)という式で表されるとされています。

分かりやすく言えば、一生懸命働いて稼ぐような収入よりも、資産が生み出す収入の方が成長が早いので、すでに資産を持っている人が、どんどん富むような仕組みになっているというのです。

資産を持っているかどうか、それが所得の成長スピードに大きな影響を与える。

もっと言えば、先代から多くの資産を相続できる人の方が、より富むようになっているというわけです。


お金が生まれたことで、貯蓄することが簡単にできるようになった。

民主主義や法律などによって、個人の財産に対しての所有権が強く守られるようになった。

その結果、r>gの効果もあって、財産を蓄えれば蓄えるほど、そして何世代にもわたって財産を引きつぐ者と、対して財産を引き継げない者との間で、大きな格差が生まれるようになっていった。

『蓄える』という事をなくすことは、この世界簡単にはできないと思うので、ここでもやはり『卵巣の宝くじ』によっての格差はなくならないのだろうと思う。


さらに格差を広げかねない、人の消費習慣。

人の幸せって何だろう?、たくさんのお金があれば幸せなのだろうか?

実はそうではないらしい。人の幸せは、お金云々ではなく、他社との比較で決まってくるらしい。

「あの人よりも恵まれている。」、「周辺の人の中では、頭一つ抜けている。」そういうことが重要らしい。


他者との比較でじぶんの幸せを推し量る。

その傾向が、消費生活にも現れてくる。どいうことかというと、隣のお金持ちが買ったモノが基準となって、背伸びをした消費をしてしまうことがあるらしい。

大きな家の隣に住むなら、それなりに大きな家を建てたい。

地方に住むよりも、ちょっと高くても都市部に住みたい。

そうやって、背伸びした消費を続けることによって、より貯蓄が出来なくなってくる。

貯蓄できなくなることで、資産が生み出す収益を手にすることが出来なくなる。

そうやって、格差はより広がってしまう。


格差を埋めるには、どうしたらいいのだろうか?

「格差を埋めたい。」そうは思っても、そう簡単に埋まるものではなさそうです。

だからと言って、その格差のすべてを受け入れるわけにもいかない。


まず思うところは、他者と比較をしないことだと思う。

自分が格差の下だとか、他の人と比較することはなるべくしない方がいいと思う。

人と比較をする時、ほとんどの人が下ではなく、上と比較しようとする。その結果、あまり自分の幸運に目が向かなくなってしまうこともある。

「卵巣の宝くじ」によれば、先進国に生まれたという時点で、私たちは、すでに大きな幸運をつかんでいる。

もっとその幸運に目を向けるべきなのではないだろうか。


次に、背伸びをした消費を控えること。

格差が生まれる要因には、『運』の他に『貯蓄』もある。

貯蓄をして、貯蓄から収入を生み出し、収入が増えるスピードを上げる工夫がいる。

貯蓄をするには、消費を抑えなければいけない。

人は、「本当に必要かどうか」よりも「欲しい」という気持ちで消費をしがちになる。そして、その「欲しい」では、他者と比較をしてモノを選択している。

お金持ちと比較をして消費をするのではなく、できるだけ必要な範囲で消費をする工夫が必要なのかもしれない。


結局、この世界では、格差は生まれるようになっている。

でも、その格差のすべてが、どうしようもないものというわけではないと思う。

『運』さえつかめば、一発逆転だってできるかもしれない。

ただその『運』を掴むために、ただ『運』を掴むのを願っているだけなのでは、全く意味がないと思う。

『運』というのは、いつ来るのか、そもそも来ないのか。そんなことは、わからないものではあるけれど。

運をつかむために、やれることがあるならば、『努力すること』なのかもしれない。

『努力』と『能力』があれば、必ず『運』を掴めるわけではないけれど、大きな『運』を掴んだ人たちのほとんどが、『努力して、尚且つその運を手に入れるだけの十分な能力』を持っている。

だから、『運』が向いてくるまで、ひたすら『努力』をして、『能力』を引き上げること、これが運をつかむために必要なことなのだろうと思います。


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